ジャズピアニスト平川勝朗のページ

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23:12

ちょっとした思いつきだけど、

僕が「美」を感じる基準の一つに

「鋭角的なもの」というのがある、ということに気がついた。

音楽でも、絵画でも、文章でも。

文章はほんとそうだよなあ、、

三島由紀夫、平出隆、石川淳、などなど、、

最近は石川淳再読の毎日。

で、持ってなかった紫苑物語、こないだ買って

読んで、

いやあ、ほんとに官能的で鋭角的な文章。

なんなんだろうな、鋭角的って。

鋭角的、という印象が含んでる要素の一つに

「過剰」ということはあるだろうな、って気がする。

過剰、、、過剰なあ、、

説明が多いのは過剰だろうけど、

そういうのとは全然違う。

というよりむしろ真逆。

オスカーピーターソンの音数の多さは過剰と言えるけど、

その過剰性はただうるさいだけ。

その対比で言ったら、

菊池雅章のピアノは

僕の欲している過剰性なのかも。

 

過剰、、、

 

扱いに慎重さを要する概念である。