ちょっとした思いつきだけど、
僕が「美」を感じる基準の一つに
「鋭角的なもの」というのがある、ということに気がついた。
音楽でも、絵画でも、文章でも。
文章はほんとそうだよなあ、、
三島由紀夫、平出隆、石川淳、などなど、、
最近は石川淳再読の毎日。
で、持ってなかった紫苑物語、こないだ買って
読んで、
いやあ、ほんとに官能的で鋭角的な文章。
なんなんだろうな、鋭角的って。
鋭角的、という印象が含んでる要素の一つに
「過剰」ということはあるだろうな、って気がする。
過剰、、、過剰なあ、、
説明が多いのは過剰だろうけど、
そういうのとは全然違う。
というよりむしろ真逆。
オスカーピーターソンの音数の多さは過剰と言えるけど、
その過剰性はただうるさいだけ。
その対比で言ったら、
菊池雅章のピアノは
僕の欲している過剰性なのかも。
過剰、、、
扱いに慎重さを要する概念である。