どこかに向かってるという感覚がないと
どうしても時間を持て余してしまう。
無目的に生きることができたらどんなにいいだろう。
いや、どこかに向かっている、という感覚がなくても、
とにかく何かやることがあって、それをやっているあいだは
余計なことを考える余裕もなく、
知らない間に時間が過ぎている。
で、それが仕事ならお金も入ってくる。
それでとりあえず生きていくことはできる。
なにか、なんでもいいから、自分に半ば義務のようなものとして
課すものを作った方が精神衛生上いいような気がする。
目的を欠いた義務、というのはなかなか従うのが難しい。
別にやらなくてもなんら問題はない義務、というのは
義務、として意識しがたい。
それ自体自己目的化している義務。
いや、それにより心の平安を得られるのなら、
それは立派に目的がある、といえる、、、か。