ジャズピアニスト平川勝朗のページ

ライブスケジュール他、日々の記録など

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そろそろ8月のスケジュールを書かないと、って思ってはいたのだが、またマンボウだかなんだか知らないけど営業時間1時間短縮だのお酒は販売しちゃだめだの、意味不明のお達しが出て、やる気がそがれてしまった。

でもやっぱりとにかく書くだけ書こう、と思って記事を書くページを開いたんだけど、なんとなく全然関係ないことを書き始めてしまっている。
最近は少し酒の量が増えてしまっているかも。深酒したあくる日の朝は、なんだか視界がぼんやりしていて、活字に焦点が合いにくいように思う。若いころはそんなこと感じたこともなかったので、これは年のせいなのか。

暇に任せて、なんかサイトを作ってみたりNOTEというやつをやりかけてみたり、動画をアップしたりと、いろいろ始めてみてはいるのだが、まあとにかく続かない。モチベーションが続かない。1つ2つ記事を書くと、すぐに「こんなこと、なんの意味があるんだ」という言葉が頭をもたげてくる。まあ何か1つのことを続ける上では絶対口にしてはいけない言葉だということはわかってはいるのだけど。

ただ、最近はじめたツイッターのつぶやきは、何となく続きそうな予感がある。
ツイッターは前から2つアカウントがあってそれらはまあまあ放置されぎみなのだけど、さらに3つめのアカウントで、僕の好きな洲之内徹の気に入った文章をつぶやく、というのをやり始めていて、これは、1日1個以上つぶやくというノルマを自分に課したのだが、今のところ遂行できている。随分昔ツイッターを始めたころに〇〇botというものが存在することに気がつき、洲之内徹botってないかな、と思って探したのだが、ちゃんと機能しているものはなくて、じゃあ自分で作ってみるか、と思いかけたものの、でもどうせ三日坊主になるだろうな、という考えが上からかぶさってきて、それでずっとやらず仕舞いだったのだが、ちょっと前にふと衝動的にやり始めたのである。で、まだ始めて日は浅いけど、これはなんとなく続けていけそうな予感があるのである。他のことはぜんぜん続かないのに、これはいけそうだと思えるのはなぜなんだろうか、と考えてみた。それはつまり、すごく単純なことだけど、この作業が楽しいと思えるからなのだ。いや、楽しい、というのともちょっと違うな。自分にとって有益だと思える、そういう実感があるからだと思う。今のところフォロー数2、フォロワー数3という状況で特に誰に見られているわけではないが、そんなことと関係なくアップするのが苦にならない。まあほとんど自分用のメモみたいなもので、他人にそれを公開するのは、ついでみたいなものなのだ。「人に見てもらうためにする行為」は、人が見てくれなければやるモチベーションが下がるのは当たり前の話だが、はなからそれが目的ではない、自分のためにやる、というものであれば、それがそれほどしんどい作業でない限り、淡々と続けていけるものなのである。

というふうに今のところ思ってるけど、これだっていつ突然やる気がなくなってストップするかもわからない。なんというか、そういう部分では自分というものが全く信じられなくなっている。というかそもそも、自分を信じる、とかいう言葉もどうかと思う昨今である。なんだかだらだらとどうでもいいことを書いてしまったけど、それよりスケジュールですよスケジュール。しかしスケジュールを書くためのエネルギーをこの記事のために使ってしまったので、今日は書ける気がしない。いや、ちょっと休んでエネルギーをなんとか充填しよう。